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明走会ブログ
走る異業種交流会「明走会」のオフィシャルブログです。
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荻往還140km完踏記 by 森村俊介
7年前70kmを完踏してから何故遠ざかっていたのか?
当時140kmは完踏率が4割にも満たず250kmより大変と言われ私にはとても無理だと思っていたし、夜、あの急な坂を登り降りすると思うと気がひけた。

 今年トライしたのは5月はサロマの練習で長いレースに出る習慣があり、昨年走った岩手銀河も6月に移ってしまい、(野辺山、鯖街道、とうや湖はこりごり)それでは仲間も多く出るこれにしようと。
それに私の20年来の走友である土田園子さん、彼女には何を走ってもかなわないが、その彼女が眠さの為2連敗、不眠症の私はそれは平気なので何か一つ彼女を抜こうと思い出る気になった。

それに最近やせて10km、フルマラソンの自己新も出たので今年がチャンスと思った。つくばや荒川はいつも通り5時間近くかかったが、4月をベストコンディションとしたので桃の里10kmと長野フルは大幅の自己新だった。その2週間後にこのレースを走るのは調整の仕方が我ながらうまいと思った。

 長野の疲れは早く取れたので、大事なのは寝だめ、木曜と金曜は睡眠薬をいつもの倍(と言っても1錠だが)飲んで8時間たっぷり寝た(いつもは6時間)。それから土曜朝の新山口までの新幹線は4週間前から一杯で、仕方なく新大阪までののぞみに乗り、それから仲間の乗るのぞみに移り、かろうじて空いていたグリーン車に座った。新大阪までも薬は飲んだ。

新山口で同僚IBJの北川さんの友人の吉村キッチンで食事、ここで寿司とか沢山食べられたのが良かった。

ホテルに荷物を預けてから受け付け。暖かかったので夜も半袖、ひざまでの半ズボンで走る。ウエストポーチに水筒と小銭とチェックシート、それに懐中電灯だが、これが買ったばかりですぐ壊れ悲劇に。IBJで140kmに出るのは私と女性の八木さん。スタートで解散したランランサークル(佐藤千恵子先生の会)のメンバーで2回も完踏している平内さん、63才でサロマ5回完走している塩路さん、それに最年少ウルトラ美人ランナーとして著名な伊藤愛さん達に会いとてもうれしくなる。

 スタート時には涼しくなり快調。信号で止まらされるのが面倒、でもあまり飛ばしてはいけないと思い少し遅いペースの4人組に付く、彼等を見失いかけた時、最初のエイド「しゃもじ」60~70人が豚汁を食べゆっくりしていたが、私はその日は時間の節約の為食事はしないと決めていたので、自動販売機で好物のゼリーを取っただけで出発、その後山道へそれから下って折り返し点までが長く感じる。

10人位で走りペースは同じだが、早いランナーと大勢すれ違い遅れを感じる。明走会の木下さんと会ってもうすぐですねと確認したが、そこから更に15分もあったよう、折り返し点の英雲荘はさびしいとこでチェックシートに印をつけてもらい少々のドリンク、知らない人に、森村さんはランナーズで見ましたと言われびっくり。

その後、行きに下った急な坂を登っている時、何故こんな馬鹿なレースに出たのかとつくづく後悔。2回目の「しゃもじ」でもゼリーを食べ、そこに冷たい御茶が出ていたので6~7杯頭にかけた。私は寝ない、食べない、寒いは全く平気なのだが、少々暑いだけで脱水になり苦しくなる。

夜の内に急ごうと出発、山口までも長かったが途中一緒になった夫妻と走り軽快だったが、到着前に悲劇、安心したからか歩道から降りた時に突っぷし頭右手を打つ。起き上がると右手から血がどろどろ吹き出している。山口福祉センターはまだですかと聞きながらあせる、幸い3分位で着く。
 水道で傷を洗い、右手と両ひざに湿布を、血だらけの私を見て皆びっくりしていたがここで退めるのもつまらない、ここでも食べず前も来た夜の山道へ、懐中電灯は壊れたので600mの急坂は前の人に付き必死に歩いた。自動車道路に出ると下りだがやはり電気がないと少しこわい。

 その頃頭にライトを付けた原田さんと言う人が後ろから追い付いてくる。つえをつきながらゆっくり走る方。「暗くてこわいので助けてください」と頼む。「あなたけがして大変だからしょうがない」と導いてくれる。部落佐々並は寒い。その後も同行してもらい、登りそして明木までの長い長い下り、暗い山道は同行者がいるとうれしい。

「昨年は気分が悪くなり完踏できなかった。今年はできそう。荻城跡に6時に着ける。来年は250kmへ出たい。」そう。250kmのトップの人達ともすれ違う。私はもうこんなレースこりごりで100km地点の東光寺か110kmの明木でやめようと考えている。

 明木から明るくなったので一人で出発、最後の登りから有料道路休憩所へ降りると誰もいない。間違いそうな道を聞きながら荻へ。まだ涼しいので軽快。数人を抜く。最後に例の塩路さん、サロマを5回完走してフルも3時間40分の人だが、びっこをひき歩いている。追い抜くと「足大丈夫かい、僕は駄目だ」彼は棄権。
 荻城跡から私が出る時着いた伊藤愛ちゃんもウルトラ10回完走でサロマ11時間20分だが、かなり疲れていたようで、東光寺への道ですれ違いとても苦しそうだった。私より速い人でもこのコースはきついのかも。仲間の八木さんもフルサブ4の人だが今回は全く会えず東光寺へは私より3時間以上遅れて着いたらしい。

荻城跡には着替えが置いてあったので帽子を被りパンツは短いのに靴下も変えたが、ランシャツはゼッケンはずしが面倒でそのまま、6時半に出発。この頃日が照ってきたのでやはり夜道をもう少し速く歩いとけばと後悔し、もうじき退めようと思いゆっくり走る。すれ違うランナーも多く、おそいなぁと思われているようだ。

やっと笠山へ着き登る。眺めがよい周囲のランナーは「ゴールまで行ける。暑いんで大丈夫か?」との会話。楽しみにしていた虎ヶ崎食堂へ。大勢がゆっくり食事している。ここではさすがにカレーを頼んだが半分残す。そして大好きなアイスクリームをゆっくり。腹はすかず眠くもない。「ここから東光寺へは2時間位ですか?」「いや、1時間半で充分」

 そうすると10時。これは7年前11時に出ても1時間半前に着いた事を考えると絶対間に合う時間、とてもうれしくなり海沿いの林道を行く。車道に出ても涼しい風が当るので軽快だった。前方に歩いていたのは明走会のウルトラランナー伊藤さん、このまま歩いてもゴール着きますよと声をかける。その後彼女から氷をもらったり追いつかれたりだったが最後は抜かれた。しぶとい人だ。
 彼女は以前2回20時間で走っていたのだ。東光寺には1時間で着いてしまい又うれしくなる。最後のチェックポイント、楽しんで帰ろう。

 そこから山へ入る地点までかなりあった。35kmに出ている北川さんや70kmの清水さんとすれ違い「森村さん早すぎよ」と言われる。すれ違う人から足のころび傷大丈夫ですかと心配される。これはまだ痛んでいる。その頃周りに140kmの人がいないのでもしかして道を省略してしまったのかと不安、でも有料道路地点に着き往還道へ入り一安心、明木には12時に着き傷の手当を少し、それからの長い登りはゆっくり、佐々並までが長く感じとうふがなかったのはとてもがっかり。

ここで明走会のお富さんが明木にいるという情報、今からでは間に合ってもぎりぎりだろうか。彼女はサロマ同様時間内にゴール、精神力の強さには脱帽。その後の道路の登りは7年前は走った記憶があるが今回は疲れで困難、最後山道へ入る頃はくたくた。

 その後得意の下りも今回は転ばぬようゆっくり降りたが、1回転倒、尻から転ぶのはけがはない。やっと山を抜け最後の下りへ。ここからスピードを出す伊藤さんや知り合いの女性村田さん達に「頑張って」と言われながら抜かされた。

ゴール地点では塩路さんやIBJの人が「頑張ったね」と言ってくれとてもうれしい。
5時着23時間だ(24時間が制限時間)。

 ゴール後荷物探しが大変だった。ソフトクリームをおいしく食べ夜食はソバだけ。フルマラソンの疲れは1~2日で取れるようになったが今回はけがもあり仲々。そしてその日の夜もいつも通り興奮のせいで薬飲んでも眠れなかった。

もう140kmは二度と出たくないが、寝ないでも平気なんだから250kmに出なさいと言う悪魔の声がささやいている。
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